七階。

中央線高架のふもとで本を読む、夢を見る。

本の置き場所問題~誰にも見せられない本~

図書館から返却催促ハガキが来てしまった。

今まで、返却催促は電話でしか受けたことがなかったから、電話の次はハガキが来るのか……と思いながら眺めた。反省はしている。

ところで、ハガキに書名が書かれていない。よく読むと、書名はプライバシー保護のため記載できません、というようなことが書いてある。

誰がどんな本を読むかというのは、プライベートな情報である。個人でも国でも、何者かが勝手にそれを知ることはできない。図書館の貸出記録は守られている。

という図書館の大前提を、小学生の頃、図書館の先生から教わった覚えがある。とんでもなく田舎の学校だったが、しっかりした教育を受けたものだ。

大人になった今ならわかる。どんな本を読むかを知れば、どんな思想を持っているのかわかる。世が世なら、特定の思想は糾弾されて、迫害される恐れがある。

平和に慣れすぎて、ありがたみを忘れがちだが。

 

さて、話は自宅に移る。記事のタイトルを「本の置き場所」としたが、同居人や定期的な訪問者がいる人にとって、本の置き場所は悩みのタネとなる場合があるのではないだろうか。

その理由はもちろん、前述したプライバシー問題である。

どんなに密な相手でも、自分の読むものを知られたくないことはあるだろう。図書館が書名を伏せたハガキを送ってきてくれても、本の現物が見られてしまったら意味を成さない。こればかりは、自分で身体を張って守り抜くしかないのである。

 

幸い、私は周囲の理解に恵まれ、読む本を堂々と人目にさらしてきた。実家にいた頃は家中に置きっぱなしにしていたし、現在は入室者全てが通る場所に本棚を置き、図書館本も含め、全ての本を格納している。

我が家に最も頻繁にやってくるのは恋人である。(妄想の可能性は捨てきれない。)

だが、相手は私の本棚の中身について一切検分せず、感想すら言わない。本棚を導入した時も、高さばかり気にしていた。(ちなみに、180cmだ。)

こんな状況なので、私は一切自分の思想に干渉されず、自由にのびのびと本を読み、隠し場所に腐心することなく生活している。

だが……実は一冊だけ、隠している本がある。どんな本かは、もちろん書くことはできない。隠し場所は、クローゼットの奥底である。 ふとした拍子に見つかることが絶対にない場所だ。

 万が一、この本が見つかりそうになったら、私はクローゼットを外に放り出すことも辞さない。身体を張って守りぬく所存である。