七階。

中央線高架のふもとで本を読む、夢を見る。

「パン屋」と聞くと、襲撃する? と言いたくなる~村上春樹『パン屋再襲撃』を読み聞かせてもらった夜~

近所にパン屋ができそうである。

道路側の壁を取り外し、洞窟のようにぽっかりと口を開けた空きテナントに、銀色のオーブンやらなんやらが運び込まれ、次の日には壁が取り付けられ、その次の日には白い木目調に塗られておしゃれな雰囲気になった。

パン屋というのは私の憶測にすぎないが、看板が出る日が楽しみである。

 

さて、パン屋といえば息をするように「襲撃」と続けたくなる。

平和なパン屋のイメージが一気に物騒になってしまうが、これは全て村上春樹のせいである。

私は村上春樹の短編小説が好きだ。中でも、『象の消滅』短編選集が気に入っている。

https://www.amazon.co.jp/「象の消滅」-短篇選集-1980-1991-村上-春樹/dp/4103534168

 

この短編集の中に、『パン屋再襲撃』がある。

「再襲撃」 というからには 、初回の「襲撃」の作品もあるのだが、ここでは「再襲撃」について書きたい。

この小説は一言で言うと、どうしようもなく混沌とした可笑しさの裏側に、とんでもなく美しいイメージが張り付けられた小説だ。(と私は思っている。)

読むたびに笑い転げてしまうし、美しい描写に心を澄ませてしまう。

 

主人公は深夜2時、結婚したばかりの妻と2人、特殊な飢餓感に襲われる。

特殊な飢餓感とは……

 

①僕は小さなボートに乗って静かな洋上に浮かんでいる。②下を見下ろすと、水の中に海底火山の頂上が見える。③海面とその頂上のあいだにはそれほどの距離はないように見えるが、しかし正確なところはわからない。④何故なら水が透明すぎて距離感がつかめないからだ。

(本文より引用)

 

この夢のように美しい、透明な風景のイメージは、この小説の底をずっと流れ続ける。時折、主人公は心の中でボートから海底火山の頂上を見下ろす。そして水が透明すぎることで、宙に浮いているような妙な感覚を持ち続ける。

特殊な飢餓感によって、主人公は学生時代相棒と共にパン屋を襲い、未遂に終わったことを思い出す。(未遂、といっても特殊な取引でパンを手に入れることはできたのだが。)

以来、主人公は呪いのようなものに付きまとわれており、その話を聞いた妻は、それのせいで自分までもが特殊な飢餓感を感じるのだと言う。

そうして妻は、呪いを解くためにはパン屋襲撃を今すぐ完遂させることが必要だと断固主張し、2人は深夜の東京に繰り出す。

ぼんやりしている主人公を尻目に、妻は手慣れた強盗のように散弾銃を使いこなしてマクドナルドを襲撃し(深夜の東京では、パン屋のようなものがマクドナルドしか営業していなかったのだ。)、主人公は全く知らない妻の一面に戸惑いながらもすんなり受け入れ(結婚生活というのは何かしら奇妙なものだという気がしただけだった。)妻の的確な指示に従って襲撃の一端を担う。そうして2人は無事にビックマックを30個手に入れ、夜が明ける。

 

夢か幻か定かではないが、十代の頃、恋人に『パン屋再襲撃』を枕元で音読してもらったことがある。

進んでそんなことをしたがる人間がいるとは思えないので、強要したのだろう。やらされる側としてはたまったものではないだろうが、恋人は優しく読み聞かせてくれた。

私は何度も笑うだろうから、とても寝入るどころではなく、結局最後まで読ませてしまったのだろう。(細かい記憶はない。)

今では、その人の声も姿もぼんやりとしか思い出せないが、「パン屋再襲撃を恋人に読み聞かせてもらった」ということは一生忘れないだろう。

 

私の心の中にも透明な水を張った海が存在していて、ボートから海底を覗くと、様々なものが浮かんでは消えていく。

「パン」と聞いただけで、『パン屋再襲撃』、そしてそれを読み聞かせてくれた恋人の面影までもが浮かび上がってくる。可笑しさと感嘆とそして寂しさと愛おしさと……人間の心の中には、本当にたくさんのものが沈んでいる。ささやかな刺激で立った波紋で、思いもよらないものが運ばれてくることがある。

 

パン屋再襲撃』では、主人公は朝日とともにボートの底に身を横たえ、満ち潮が2人をしかるべき場所に運んでいってくれるのを待つ。

いつか、私のボートにも同乗者が現れるのだろうか。その日を楽しみに、私は1人で枕を抱えて『パン屋再襲撃』を読もうと思う。